#くらす
町にしっかり根を張り
子どもたちに夢ある未来を
辻坂尚哉さん
2021.11.22
家々が静かに建ち並ぶ栗田地区の田園風景の一角、和風建築のお宅でケーキ屋「くまの隠れ家 ひだまり」を営むのが辻坂尚哉さんです。
家のすぐ西側には畑が連なり、ケーキに使うイチゴやイチジクを栽培しています。また東側には、砂浜と海が一面に広がり、素晴らしいロケーションです。
辻坂さんによると、この環境がもたらしてくれるものは想像以上に大きいよう。元気いっぱいな息子さんたちとの日常、そして未来へ繋ぐ思いを伺いました。
学び多き、自然の遊び場
――家のすぐ隣に海が広がり、リゾート地のようなロケーションですね。
えぇ、海までは徒歩0分。畑も目の前にありますし、10分ほど歩けばタケノコが採れる山も。仕事以外の時間は、息子たちと一緒に海で魚を釣って食べたり、畑で虫を掴まえたりしています。こういう環境にいると、息子も生き物に興味を持つようで、先日はヤゴを掴まえ家で羽化させていました。
――生き物から教わることがたくさんあるんでしょうね。
うちは釣った魚を調理するとき、捌くところから見せるんです。「この魚は人間に食べられるために生きているわけじゃないよ」って。野菜もそう。ものの命をもらって生きていることを話すので、「いただきます」の意味をよく理解しているし、ニガウリでも何でも好き嫌いなく食べます。
――まだ小さいのにニガウリを?
採れたての野菜って新鮮でおいしいんですよ。ピーマンだって生で食べられるし。長男はよく畑で遊びながら、隣の畑のピーマンをパクッと食べて「おばちゃん、おいしいわ!」って。思わずみんな笑うし、相手のおばちゃんも「ええで、ええで」と許してくれるんです。
――自然に触れながら、すくすく成長されていますね。
そうですね、よく景色を見ながら「お父さん、山の色が変わってきたよ」「今日は星がきれいだね」と話してくれます。僕も、山の色、雲の形、星の輝きをぼんやり眺めるのが好きなので似ているのかもしれませんが、自然の変化を感じ取る、心の豊かさみたいなものが育っているようです。
「大人が楽しむ姿」が一番の教科書
――辻坂さんは、どういうご縁で宮津に移住してこられたんですか?
妻の実家が宮津なんです。別に跡継ぎというわけではないんですが、妻は三姉妹で、みんな他所に嫁いでしまうと家や畑を守る人がいなくなるので、結婚を機に義両親と一緒に暮らし始めました。
元々こっちに全く知り合いがいなかったので、最初は「まずは顔を知ってもらおう」と、地域の集まりには何でも参加しました。各家庭から1人出席すればいい会合でも、あえてお義父さんについて行ったり、あと、宮津弁を真似してみたり。
――宮津弁を真似る!?
例えば、語尾に「だで」「しとんなる」をつけるとか。みんな、地元の言葉って親しみを感じるじゃないですか。それなら、同じ言葉を使った方が馴染むのも早いかなって。やっぱりこの土地の文化を大切にしたいですから。
ただ、いまだに雨が降った時に使う「ぴりぴりしてきた」って表現だけは慣れません。「いや、ポツポツでええやん!」って思います(笑)
――たしかに、他の地域の人からすると「ぴりぴり」は違和感があるかもしれません(笑)いろんな方法で積極的に関わっていかれたんですね。
えぇ、遠慮しても仕方ないから分からないことは聞き、気になったことはどんどん意見しました。特に10月のお祭の時、みんなで楽器を演奏する時間があるんですが、このあたりでは、地元出身の男性は子どもたちと一緒に太鼓、移住者の男性は笛と、担当が決まっているんです。僕は本来、笛の担当ですが「太鼓がしたいです」と言って担当を変えてもらいました。別に笛が嫌というわけじゃなく、将来、息子が大きくなった時、一緒に太鼓を演奏したいし、「なんでお父さんは太鼓じゃないの?」って聞かれるのも嫌だから。なかには「なんで居残り練習までして太鼓を?」と不思議がる人もいましたが、近所の気の良いおっちゃんが全体練習の後、残って教えてくれました。
でも僕としては、こういう時間を経て、ちょっとずつ地域に馴染んでいけた気がします。一番それを感じたのは、本番当日かな。演奏を披露した時、「ワー!」と歓声があがったんですよ。たぶん、それまで移住者の男性が太鼓を叩くことがなかったから珍しかったんでしょうが、みんなの声を聞きながら「あぁここの人間になった!」って思いました。
――町にしっかり根を生やそうと努力された結果ですね。すごい達成感だったのでは?
はい。でも最近は、年に一度の祭も「山車を引くのが大変だから」と宮入りせず道路を走らせるだけ。簡略化、簡略化で衰退の一途を辿っています。
僕の実家の「岸和田だんじり祭」では大人がみんな真剣で、めちゃくちゃ楽しそうに山車を引いています。だから子どもたちも「うわ、かっこいいなー!」って祭りに参加できることが嬉しくて仕方ないんです。子どもはちゃんと大人の姿を見ていますから、大人が楽しそうにしていれば、自然と興味を持つものです。
町のことだってそう。大人が「働くところがない」「宮津はあかん」と言っていたら、子どもたちがこの町に魅力を感じるわけがない。働くところがなかったら自分で作ったらいい。何もしなければ何も変わらない。今のままです。
起業後は、自分らしいケーキ作りを
――なるほど。ちなみに辻坂さんのお仕事は?
もともと大阪で菓子店に勤めていたんですが、移住後良い職場が見つからず自分で起業しました。なかなか踏み切れず悩んだ時期もあったんですが、ちょうど地元の商工会議所の青年部の人たちと出会い、「やったらええやん!」と背中を押してもらって。その後も、みんな口コミでケーキを宣伝し応援してくれました。
――自営業になって変わったことはありますか?
以前に比べ、自分の思うケーキ作りができるようになりました。雇われている間は会社の方針に従うのが当然ですが、僕は大阪にいた頃から、鮮度の落ちたケーキを売るのが嫌で仕方なくて。「ロスを出したくない」という経営側の気持ちもわかるんですが、お客さんはそれを店の味と判断しますから、良い評価になるわけがありません。今は自分の思い通りにできるので、時間が経ったものは絶対に売らないことにしています。
――その方がお客さんから信頼されそうですね。
はい。あと出来合いのものは使わない。例えばカスタードは、業者から購入する店が多いのですが、やっぱり味が違います。僕は、自分が納得した素材で一から作るようにしていて、多少高くてもマーガリンは使わずバターにするし、ホイップクリームではなく生クリームを選ぶようにしています。
その分、うちのケーキは宮津市内でも高くて1個400~500円くらいします。開業当初は「高っかいなー!」と言われましたが、今は「高くてもおいしいから」と納得した人だけがきてくれるようになりました。開業から4年、青年部の人たちの後押しもあって徐々にリピーターが定着し、最近ようやく本当のスタート地点に立てた感じです。
「ここに来たからこそ、出会えた人がいる」
――今後はどんな展望を描いておられますか?
畑をもっと整理して、将来的にはイチゴ狩りとかイチジク狩りができる観光農園にしようと思っています。砂浜に面して「海が見えるカフェ」を建て、採れての果物で作ったケーキを出したり、畑で野菜を栽培したり。青年部の知り合いの大工さんに相談しながら徐々に計画を進めているところです。
――先ほどから伺っていると、心強いお友達がたくさんおられますね。
大阪にいた当時、僕はほとんど友達がいないタイプでした。でもこっちに来てから人に恵まれ、人づき合いが楽しくて。うちの嫁さんはよく「私の実家のために、宮津へ来てもらって申し訳ない」と言うんですが、僕はそんなこと一度も思ったことありません。こっちに来たからこそ、出会えた人が山ほどいるんですから。
――大阪では一人で過ごすことが多かったんですか?
大阪は近所付き合いが希薄で、無理に関わらなくても生活できます。でも、こっちに来たらなんだかんだ集まりがあるし、近所の人も「バーベキューするから来ないか?」と誘ってくれるし。集まって食事をする機会が多いので体重が30㎏も増えました!
――30㎏!その数字から、充実した生活ぶりが伝わってきます。今後も農園の完成に向け頑張ってください!
はい、子どもたちにより良い未来を残そうと思うなら、「宮津はあかん」と言う前に、良くする方法を考えないと。僕はこの町を、子どもたちが魅力を感じる町にしていきたいです。
◎くまの隠れ家 ひだまり
《住所》
京都府宮津市字小寺812-1
《電話番号》
080-6206-9686
《Instagram》
《facebook》