#くらす

宮津の美しさをもっと多くの人へ
熱気球で町を盛り上げる

Aエリア_日ヶ谷_養老_世屋

鮮やかな色合いで宮津市の空を明るく彩る熱気球。大空をゆったり舞う姿は、見ているだけで晴れやかな気持ちになります。
この熱気球プロジェクトの企画・運営者であり、操縦士を務めているのが、山尾太郎さんです。2020年5月に地域おこし協力隊(以下、地おこ)として宮津へ移住。天橋立アクティビティセンターに勤務する傍ら、下世屋地区で狩猟をしながら生活されています。
自分らしいライフスタイルを築きつつ、新たなプロジェクトにも果敢に挑戦する山尾さん。移住後のお話を伺うと、そこには自然、人…さまざまな出会いがありました。

2021年7月4日、府中地区でフライトに成功!新聞や広報誌など数々のメディアに取り上げられました。

自分らしい生活を築くために

――どういう経緯で、宮津へ引っ越してこらたんですか?

僕はもともと三重県伊賀市で百姓をしながら、狩猟、養蜂、養鶏によって自給自足の生活をしていました。当時から狩猟した肉は、僕にとって欠かせない食材。移住の際も、イノシシやシカがいて、なんならクマもいて、波乗りができて魚介類の豊富な場所がいいと思っていました。
猟師仲間に相談したら「その条件を満たすのは丹後半島しかないぞ!」って。それで調べてみたら、たまたま宮津で地おこを募集していたのですぐに応募しました。

――家はすぐ見つかりましたか?

市役所に相談したところ、最初は、勤務先がある府中地区の物件をいろいろ勧めてくれたんですが、地おこは3年間で終了します。その後の生活を考えると「自分たちのライフワークを大切にしたい」と山間部の下世屋地区を選びました。ここなら、庭で野菜を育てられるし、シカが家の前を通るので狩猟もできますから。

――理想通りの家が見つかって良かったですね。

ただ、問題になったのはパートナーの娘の学校。ここから一番近い日置小学校は、放課後に子どもを預かってくれる学童がありません。そうなると、僕らは勤務があるから、放課後一人になってしまうんです。我が家にとって学童は絶対必要。だから、学童のある府中小学校に通わせるため、もう一軒家を借りました。

――それは大変ですね。今も二拠点生活を?

いえ、結局2つの家を行き来しながら生活するのが難しくなり、府中地区の家を引き払ったんです。けど、そうなると日置小学校に転校しなければいけません。子どもにしたら、不安を抱えて引っ越し、ようやく府中小学校に慣れたのに、また転校するのはつらい。僕らとしても、安心して学校に通える環境を整えてあげたかったので、越境通学について行政にかけあいました。すぐに許可が出ず何度もやりとりしたんですが、最終的に「子どもさんの気持ちを尊重します」と、保護者が送迎することを条件に許可してもらえました。

「移住当時は不安そうだった娘も、今では毎日楽しく学校に通っています」と薫さん。

大地の力を生かして心豊かに生きる

――現在、下世屋地区での暮らしはどうですか?

僕は、「地球の上に生きる」をテーマに、狩猟を中心とした自給的な暮らしを目指しています。下世屋地区は野生の動物が多く狩猟ができる上、自然豊か。パートナーも土から取れる酸化鉄という成分を生かしたベンガラ染めでグッズを作るなど、ライフワークを大切にしています。

――猟には銃を用いるんですか?

猟にはいろんな方法があって、銃や檻を使ったり、カメラで獣の行動を観察して掴まえたりする方法もあるんですが、僕はカメラなどは使わず、地中に罠を仕掛けて獣を捉えるタイプ。森に入って五感を研ぎ澄まし動物の行動を感じ取る方が、自分も野生に戻れる気がするんです。

お家には、山尾さんが仕留めた獣たちの骨が飾られています。

――仕留めた獣は、どうされるんですか?

もちろん自分たちで食べますし、加工して友達と物々交換することもあります。こういう生活をしていると、常に生き物の命をいただいているという感覚があります。もちろん、たまにはコンビニでものを買うこともありますが、人工的なものばかり食べていたら体の調子が悪くなる。基本的に、できる限り自分たちで手作りし、味噌、醤油、みりん、酢などの調味料も全部家で作っています。

山尾さんによると、塩さえあればほとんどの調味料が作れるそう。
他にも、台所には手作りの梅酒や枇杷酒の瓶が並んでいました。

宮津に新しい名物が誕生

――地おこの活動って、どんなことをされているんですか?

天橋立アクティビティセンターに勤務し、シーカヤックのようなアクティビティのインストラクターをしたり、地域資源を生かした観光商品をつくったりしています。熱気球はその一環で、移住後に構想を思いつきライセンスを取得しました。

――熱気球のアイデアはどうやって生まれたんですか?

もともと地おこの募集段階から「宮津市の通過型観光を滞在型にする新商品を」と言われていました。宮津市は、せっかく観光客が来ても天橋立を見て通過するケースが多く、それが観光業の伸び悩みの原因になっているんです。
これまでも「ベンガラ型染め体験」などのプログラムを考案してきましたが、この熱気球なら、天橋立をはじめ、宮津の山、海、川の美しさを体感してもらえるし、フライトは風の影響が少ない朝夕しかできないから滞在者向けになる。滞在型観光にぴったりだと思ったんです。

――すごくいいアイデアですね!実現に向け、どのように取り組んだんですか?

市内でも初めての試みなので、思うように進まないことはたくさんありました。7月4日のフライトは、自由に空中を散歩する自由飛行と違い、ロープでつないだまま20~30mの高さまで飛ぶ係留飛行だったんですが、使用できる場所がなかなか見つからず苦労しました。
府中地区の丹後国分寺史跡という場所を見つけ、市役所に申請してからも一向に動きがなくて。どうしようか悩んでいたら、友達が「地元の方に相談したら?」とある方を紹介してくれました。
それで、話をしに行ったら、「地域振興になるから、ぜひ実現させよう!」と応援してくれ、すぐさま土地の管理者である京都府立丹後郷土資料館へ掛け合ってくれたんです。もうそこからはとんとん拍子に話が進み、使用許可を得る事が出来ました。

大勢のギャラリーが注目する中、熱気球アマテラス号がゆっくりと空に舞い上がりました。

――いろんな人の協力があったんですね。

えぇ、熱気球は前例がないだけに説明してもみんな半信半疑だったんですが、その方は真剣に話を聞いてくれました。
それに当日のフライトには、パートナーと、天橋立アクティビティセンターのスタッフ、それから僕と同じように移住してきた2人の友達、信頼できる仲間たちが一緒になって取り組んでくれ、宮津市も運営面で力を貸してくれました。おかげで、当日は約80人もの人に搭乗してもらうことができました。

――今後、この熱気球はどのように活用されるんですか?

7月以降も、僕個人の「山尾太郎吉商店」の屋号で地元のイベントに参加しています。
今後は、係留飛行と自由飛行、両方のプランを作り観光振興の足掛かりにしていく予定で、その運営費用を集めるため、2022年1月10日までクラウドファンディングにも挑戦しています。

誰がなんと言おうと素敵な場所

――移住して1年足らずなのに、地域活性のためにしっかり尽力されていますね。

もちろん、「自分たちが好きなことだから」というのもありますし、熱気球は、地おこ終了後、自分たちのライフワークにしていきたいとも考えています。
でも何より、宮津市は人、食べ物、自然環境、いろんな意味でポテンシャルが高い。僕らがこの町に移住した時、「こんな田舎やめた方がいい!」って地元の人に言われたけど、実際に暮らしてみたら自然豊かだし、天橋立はきれいだし、山々には神秘的な光景がたくさん残っているし。誰がなんと言おうと、ここは素敵な場所です。

――この環境が、山尾さんに合っているのかもしれませんね。

環境もあるけど、周囲の人たちの存在も大きいです。僕がここの生活を楽しめるようになったのは、素で話し合える仲間ができたから。ここで得た仲間が、僕らの生活を明るくしてくれました。

――人との出会いがいい影響を与えているんですね。

これから移住する人たちに僕らが言えることは、時間をかけて関係を作っていけばいいということ。先祖代々この土地を守ってきた地元の人と、僕ら外から来た人と、やっぱりすぐに理解し合えないこともある。でもこちらから「こんにちは」って挨拶しているうちに、自然に会話が増え地元の人たちと打ち解けていきました。仲良くなると、宮津の人はみんな優しいし温かい。だから、時間をかけて一人ひとりが繋がっていけばいいんだと思います。

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