#くらす

自然とともに、地域ととともに
田舎での暮らし方

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現在、「ズングリファーム」を営む杉山雄作さん。米を中心に、大豆や小豆を栽培する他、加工した米粉で奥様の真実さんが焼き菓子を作り販売しておられます。
もともと「山陰地方で暮らすことは考えていなかった」と話す杉山さんですが、今ではこの地で農業に勤しみ、地域の仲間と新たな活動に取り組んでいるそう。波見地区に移住してからの出会いや気づきについてお話しいただきました。

震災を機に気づいた、半農半Xという暮らし方

――「ズングリファーム」では、米以外にどんな作物を栽培しているんですか?

自宅用にジャガイモ、サトイモ、サツマイモ、タマネギ、ニンニク、あと葉物野菜なども作っています。
できるだけ自然に負担をかけない生活をしたいと思っていて、栽培は基本的に、農薬や化学肥料を使わない循環型を意識してます。僕1人が頑張ったところで自然環境が良くなるわけでは無いんだけど、でもなるべく自分が納得できる生き方をしたいから、農業もそういう形をとってます。

――移住前から農業をなさっていたんですか?

いや、こっちに来てから。それまで、夏は山小屋、冬はミカン狩りって季節ごとに住み込みの仕事をして、米は収穫期にちょっと手伝ったくらい。野菜も三重の実家にいた頃、週末に畑仕事する程度だったから、全工程を責任もってするのは初めてでした。

――では、なぜ農業を?

2011年の東日本大震災の影響がすごく大きくて。自分が被災したわけではないけど、やっぱりこれからの時代、都市部に暮らして他の人が作った食料に頼るより、自然の中で自給自足する生活が一番強いなって。現金もそんなに要らないし、世界中どこでも生きていけるから。そういう生活力をつけたかったんです。

最初は5反(5000㎡)だった田んぼも、今では1町3反(13000㎡)もの広さに拡大しました。

――もともと暮らし方について、しっかりとしたお考えがあったんですね。

20年ほど前に出た塩見直紀さんの『半農半Xという生き方』という本に、農業をして自給自足しながら、もう半分の時間で漁業とか、林業とか、おのおのの仕事で現金収入を稼ぐって生活が提案されていて。僕が宮津に移住したのは、その影響が大きいかな。

思いがけない縁が紡いだ宮津との出会い

――なぜ、移住場所に宮津を選ばれたんですか?

う~ん、たまたま。昔は、山陰地方って天候が悪いイメージがあって避けてたんだけど、2015年に結婚後、夫婦で岡山の友人宅に居候させてもらっている時、嫁さんの地元である京丹後市の友達が声をかけてくれて。「お父さんの生家が空いているよ!」って。それでさっそく8月に宮津に来てみたら、天気は良いし、海も近いし、山間部はクーラーが要らんくらい涼しいし。気に入って、すぐ9月に引っ越してきました。

――こちらに知り合いは?

嫁さんは地元が近いから結構いたけど、僕は全然。それに、この辺の波見地区は3つの限界集落が集まっていて、僕らの住む梅ヶ谷地区が7世帯、奥波見地区が7世帯、中波見地区が10数世帯くらいしか住んでいないから、あまり人に会う機会もなくて。最初の半年はご近所づきあいもほとんどなかったかな。

――どのように地域の人と親しくなったんですか?

農業を始めたことが、一番大きい。1年後に、近所に住むおじいちゃんに田んぼを分けてもらってから一気につながりが増えて。農作業で分かれへんことを聞いたら、みんな手を止めて教えてくれるし、台風で稲を干す稲木が倒れた時も親切に手伝ってくれて。それがめっちゃ嬉しくて、今でもほんまに感謝してる。
農業って、デスクワークみたいに家にこもってする仕事と違い地域との関わりが深い。土地を貸してもらわないと作物を育てられないし、田んぼの水路だってみんな共用だし。やっぱり周囲の人との助けあいがないと成り立たない職業だと思う。

ご自身が育てた稲の前で。この後、稲を刈り込み、多くの人の手を借りて稲木に干す作業が待っています。

「そんなに無理して続けなくていいんじゃないですか?」

――周囲の農家さんが支えてくれているんですね。

うん、それはほんまに大きくて。
ここらの人は農業で利益を生むと言うより、先祖から受け継いだ土地を守るためにしている人が多くて、「先祖が苦労して切り拓いた土地だから、自分の体が動くうちはちゃんと耕したい」って。そういう土着的な考え方があって、僕もここに何年か住んでようやく理解できてきた。

――移住した当初は分かりませんでしたか?

最初は定年後に退職金を全部はたいて農機具を買ったり、老いた体で歯を食いしばって農作業したりするのが理解できんかったかな。一回、村の会議で「そんなに無理して続けなくても、田畑はもともと自然の一部だったんだから、自然に戻したらいいんじゃないですか?」って軽はずみに言ったら、その場が凍りついちゃって。それ、今でもめっちゃ覚えてる。
でも、ある人が「そういう意見も出てこないと会議じゃないよ。他所から来た人と、ずっと住んでいる人では意見が違うから、思ったことを言ったらいいで」と言ってくれて。たぶん、そうやって地元の人と話すことで、僕もこの土地で暮らすことをだんだん理解していった気がするなぁ。

――移住者ならではの素直な感想だったんでしょうね。

うん、やっぱり地域のことを理解して、そこに溶け込むって時間がかかるんじゃないかな。地道に、その土地の人と関わっていくしかないと思う。そうすれば、向こうもこちらのことをちゃんと理解してくれるから。要は地道に向き合えるかどうか。自分次第なんじゃないかな。
前に、地元の人が言っていたんだけど「うちら、意見が合わん人が移住してきても、他所へ逃げるわけにいかんのや」って。移住する側は「ここがだめだったら、また別のところを探したらいいわ」って考えられるけど、受け入れる側はそうはいかない。移住者も、地元の人も、それぞれに思いがあるから、尊重し合うにはお互い我慢が必要だし、相手のことを理解するには当然時間がかかると思う。

地域の特性を生かした取り組みを

――梅ヶ谷地区での暮らしには、だいぶ慣れましたか?

今は、地元の人たちが言うことがすごくわかる。逆に、分かりすぎて言いづらくなっていることもあるし、相変わらず「面倒やな」と思うこともあるけど。でもやっぱり、今までめっちゃ助けてもらった分、この村の役に立ちたいって気持ちが強いかな。ここ数年は、仲間と新しい活動にも取り組んでるんです。

――新しい活動って?

この周辺は高齢化が進んで子育て世代がほとんどいません。去年生まれたうちの息子は「梅ヶ谷で50数年ぶりに生まれた子ども」って言われているし、小学校は6学年合わせて20人弱。去年も廃校の話が持ち上がり、結局残すことにはなったんだけど、改めて「学校がなくなるって、地域にとって良くないよな」と感じて。やっぱり子どもが遊んでいる声って、村にはなくてはならないものだから。
それで数人の仲間と「移住者を増やそう」って、地域おこし協力隊を呼ぶよう取り組んだり、移住の受け皿となる空き家について考えたりしていて。チーム名は「はみんごと」。地名の「波見」と、昔の丹後弁で「ようやく」を意味する「みんごと」をくっつけた造語です。

“梅ヶ谷で50数年ぶりに生まれた子ども”のかんたくん。
地域の人が、おじいちゃん、おばあちゃんとなって育ててくれています。

――はみんごと!素敵な取り組みですね。地域活性は課題も多いでしょうが、活動の原動力って何なんですか?

やっぱり人とのつながりじゃないかな。最初は「自分たちが暮らしていけたらいい」くらいしか考えてなかったけど、周囲にお世話になった分、返していけたらいいなって。「地域に恩返し」って言ったらちょっとおこがましいけど。
「はみんごと」は僕を含め、みんな自分の生活で精一杯だし、解決すべき課題が多くてジレンマもあるけど、今はまだスタート地点。5年後、10年後を見据えて受け入れ環境を整えていきたい。例えば、都会の子が下宿生活する山村留学のように、漁村留学とか、農村留学とか。人数が少ないから廃校にするんじゃなくて、逆に少ないからこそ柔軟に動ける利点もあるだろうし。
あと、移住前に一年間「お試し期間」を作って、田舎の良い所も面倒くさい所もよく見た上で決められる仕組みを作ろうとか。みんな理想を持って移住するけど、理想だけで田舎暮らしはできないから。
村の特色を出しながら、住民が地域ぐるみで取り組み、それを行政が支える体制をとっていけたらいいんじゃないかな。

9月末、大勢の仲間が駆けつけ、無事に収穫作業を終えることができました。
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