#くらす

オール丹後の
まちづくりを目指して

羽田野まどかさん

2021.12.14

#くらす #移住者 #Dエリア_吉津_宮津

Dエリア_吉津_宮津

設計の仕事を機に宮津市へ引っ越してこられた、羽田野まどかさん。案件終了後もこの地に残り、現在は宮津地区で設計事務所「宮津町家再生ネットワーク」を営む傍ら、地域コミュニティの担い手としても活躍されています。
まどかさんが設計しているのは建物に留まらず、その場で生まれるたくさんの出会いや出来事たち。そんな町の未来につながる取り組みについて、お話を伺いました。

丹後に胃袋を掴まれて

――仕事を機に宮津へ引っ越してこられたそうですね。

えぇ1998年に、「丹後海と星の見える丘公園」の再設計の仕事に携わることになり、宮津市へ引っ越してきました。
最初に家を借りた波見地区は、中山間地域ですが海が近く、郵便屋さんが漁業権を持っていて郵便物と一緒に魚を届けてくれるんです。「コングリ(カワハギの方言)食べるか?」って。ご近所間の物々交換も盛んで、畑で採れた野菜や手作りのおかずをよくいただきました。

――素敵な文化ですね。

魚も野菜も、とれたてだから新鮮でおいしいんですよ。「ここは、お金に換えられないおいしいものがたくさんあるぞ!」と思いました。丹後に胃袋を掴まれたってことでしょうね。
だけど、もらいっぱなしというわけにはいきません。その分、私も田んぼの草刈りをしたり、神社の一斉清掃があると聞けば手伝いに行ったり。もので返せない分、労働でお返しするようにしました。
この町で暮らすには、そういう感覚って大切でしょうね。もし「あの子は、物をあげても何も返さない」なんて言われたら、こんな狭い地域、すぐに噂が広まりますから(笑)

――ほんと、早いですからね(笑)

でも、設計のお仕事が終わった後、どういう経緯で宮津に残られたんですか?
宮津というより、丹後地域全体に興味が湧いたんです。半径30㎞しかない小さい半島ながら、生態系における南北の境界線になっていて、例えばメダカも日本の北側と南側、両方のエリアの種類が混在していたり、植物も同じような事例がたくさん。その環境に応じて人の暮らしや文化も多様性に富んでいることに面白みを感じました。

コミュニティスペースの誕生

――今はどんなお仕事をされているんですか?

「株式会社宮津町家再生ネットワーク」という名で、新しく起業したい人や、地域に根差した活動をしたい人と共にまちづくりを進めています。うちの場合、新築も対応しますが、町家のリノベーションを手掛けることが多いです。

――宮津市街地には、町家がたくさん残っているんですね。

えぇ、市街地のすぐ側に海と山があり、とてもコンパクトな町です。通りごとに個性があり、海側の漁師町は漁師さんや練り物屋さんが多いし、昔、花街だった通りは今も飲み屋さんが残っているし、それぞれ仕事と暮らしがセットになっていて、これは丹後地域でも、宮津市ならではの特徴です。
なのに、このところ空き家が増え放置されたままになって、そのことが、ずっと気がかりでした。せっかく面白い町並みなのに、このまま朽ちてしまうのはもったいない。それなら、新しく事業を起こす人に使ってもらえば、新築に比べて安価に建物を準備できるし、家主さんも喜び、空き家が減って町のためにもなる。三方よしの商売になると思ったんです。

ご主人の林拓也さん(写真右から2人目)と共に、世屋地区にあるビール工房「KOHACHI beerworks」の設計プランを打ち合わせ中。

――なるほど!たしかに、三方よしですね。

うちの事務所も、築100年以上の町家をリノベーションした建物で「桜山長屋」と呼んでいます。
2014年にこの事務所を構えた時、ここを丹後エリアの衣食住に関わる作り手さん、例えば織物屋さんや陶芸や木工作家さんたちと、消費者をつなぐ場にしようとしたんです。それで長屋の一角にカフェスペース「nagaya cafe 桜山」を作り、丹後地方の食材を使った料理を提供し、雑貨や着物など、丹後の作り手さんの商品を販売するようになりました。
あちこち足を運ぶうち、いろんな人との縁が繋がって、野菜を売りに来た農家さんに「売る場所がないなら、カフェの軒先で販売したらどうですか」って声をかけたり。おいしい野菜だと、地元の人たちが買いに来るんです。「あの野菜、ある?」って。この長屋を持つことで、いろんな人が集まる場ができました。
あと、「Space 熾(イコル)」というシェアスペースでは、地域に根差した企画を開催しています。酒蔵の杜氏さんを招いたイベント「地酒ナイト」では、100人もの人が集まったこともあるんですよ。
当時この界隈には、エリアや世代を超えて人が集まれるコミュニティスペースが少なかったんですが、最近は、地元の古い木造ガレージを活用してゲストハウスが誕生し寄席を企画するなど新たなコミュニティの場が発生しています。

取材の日は、羽田野さん特製の「はちみつレモンと梅酢のソーダ」をいただきました。レモンは宮津産。

――人と人をつなぐ「桜山長屋」の活動が、町全体に広がっていますね。

新たな町の担い手、いわゆる地域を面白くする「プレイヤー」が出てきたので、人を集める場づくりは彼ら、彼女らに任せ、私たちは起業支援の方にシフトチェンジしています。「町家ラボ」という名で、先輩事業者を招いた起業勉強会やポップアップイベントを開き、シェアオフィスやシェアキッチンとしての活用も。起業者にとって、より実践的な経験を積める場を提供しています。

現在、宮津市内にお店を構える「おにぎりとおやつmusubi」は、このシェアキッチンで起業した卒業生です。

――起業希望者にとって、こういう場があると心強いですね。

周りの人たちも、「起業したいなら、一度、まどかさんの事務所へ行ってごらん」と声をかけてくれるので、ここ数年はI・Uターンする若者の起業相談が増えました。

起業相談は、スタッフの大城戸晴美さんも担当。出版、広告、経理など他地域で30年近く働いた経験を生かしてアドバイスしています。

移住してきた人が活躍できる町

――「nagaya cafe 桜山」「町家ラボ」で起業支援する人は、どんな人が多いですか?

最初はぼんやりしたイメージのままここへ来て、喋っているうちに自分のやりたいことに気づき、起業に踏み切る人が多いです。もちろん、起業したけど「ちょっと違うな」と思って別の土地に移る人もいるし、「こんなことがしたい!」と言いながら人任せにしているような人はいつまで経ってもうまくいきません。
でも、なかには、宮津に限らず、丹後地方で幅広く活躍している人もいますから、要はその人次第なんでしょうね。

――そんな人もおられるんですね。この町には、移住してきた人が活躍できるポテンシャルがあるということですか?

えぇ、あると思いますよ。ここは、山も海もあり、農業、漁業、建築、飲食……どんな商売をするにも資源が揃っています。しっかり根を張って活動すれば、できないことは、ほぼないんじゃないかしら。

――設計士、カフェ、起業相談……さまざまな立場からまちづくりに関わっておられますが、最終的な目標は何ですか?

私が目指しているのは、「オール丹後で全てデザインできるまちづくり」です。この町で暮らす一人ひとりが“なりたい自分”を思い描き、自分の人生をきちんとデザインすること。そして、足りない部分を互いに補い合いながら、他府県で暮らす人たちが「また帰りたい!」と魅力を感じる地域を作ることです。
このところ徐々に町で活躍するプレイヤーが増え、種から芽が出てきたと感じています。ただ、花を咲かせるには、さらなる仕組みが必要で、各プレイヤーがプロとして仕事を成立させ、次の世代を育てていくことが求められるでしょう。たんに仕事を創出するだけでなく、きちんと利益を出すこと。この点が今後の課題だと考えています。

SNSがきっかけで義理の両親も宮津へ

――まどかさんのお宅は、旦那様も仕事を機に宮津に来られたそうですね。

はい、主人はもともと愛知県出身で、東京で働いていたんですが、2014年からこの宮津町家再生ネットワークを手伝ってもらうことになり、その後、結婚。さらに、主人の両親もこっちへ引っ越してきました。

――え、ご両親も!どういうことですか?

最初は「一度行ってみたい」と旅行程度の話だったんですが、主人が担当したゲストハウスのSNSを義父母が見つけ興味を持ったらしくて。
その案件は当初から予算がなく、自分たちで施工作業することになっていました。最初は施主さんと数人で行っていたんですが、徐々に協力者が増え、いつの間にか近所の人、友達、そのまた友達……と輪が広がり、それまで全く接点のなかった人たちが一緒に作業するようになって。義父母は、施主さんがその様子をSNSに公開していたのを見て魅かれたらしく、一度も来たことがないのに移住を即決したんです。
今はそれぞれ仕事を持ちながら、義母は得意な園芸の腕を生かしていろんなお宅の庭を世話していますし、義父はそれを手伝う傍ら、時たま事務所にぶらっと遊びに来て、二人とも悠々自適に暮らしています。

――すごい行動力ですね。

うちの義父母の場合は少し話が急過ぎますが、でも移住を考えている人は、宮津にしろ他所にしろ、一度現地に足を運び、行動してみるといいですね。あと、口に出すこと。私は、今の事務所を見つけるまでいろんな人に「どこかいいところないですか?」と聞いて回りましたから。まずアクションを起こし、そしてやりたいことを言葉にする。移住を検討するなら、それに限ると思います。

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