#くらす

生まれ育った
この町の田園景色を残したい

吉田悟さん

2021.12.25

#くらす #地元民 #Bエリア_日置_府中

Bエリア_日置_府中

まっすぐ伸びた国道沿いに広がる田園風景。あちこちにコスモスが咲き、畑には色鮮やかなネギがすくすく育っています。今回訪ねたのは、日置地区で生まれ育ち、現在ご家族で農業を営む吉田悟さんです。この日置で栽培されるコシヒカリは、丹後地方の米の栽培技術を追求する「良食味米共励会」から表彰を受ける逸品だそう。丹精込めた米作りについて、またその背景にある地域への思いについてお話を伺いました。

就農を決意させてくれた、故郷への思い

――こんにちは。こちらの畑では、どんなものを栽培しているんですか?

うちは全体の7~8割が米栽培です。特に主食用のお米はレンゲ草を使い、なるべく化学肥料を減らした米作りを行っていて、毎年秋には主食用以外も含めて15t以上の米を収穫します。
残りの2~3割は、野菜の栽培と、販売用の種を育てる「蔬菜採種そさいさいしゅ」。ちょうど今の時期は、ホワイトスターという品種のネギが旬を迎える頃で、宮津の道の駅にある「まごころ市」や飲食店に卸しています。結構、楽しみにしてくれている人がいるんですよ。

――15t以上も!?ご家族で農業をされているということですが、田畑はどれくらいあるんですか?

私が1.5haで、親父のところが5.5ha、全部合わせて7ha、日置地区の農地の約10分の1にあたります。
うちは祖父の代から兼業農家で、私も20代の頃は父が営む設計事務所に勤めながら、農業を手伝っていました。ですが、2008年のリーマンショックを過ぎたあたりから不景気になり、経営状況が悪化してしまって。ちょうど当時、うちの親父は地区の農事組合の責任者だったので、周囲の人から「空いている土地を面倒見てほしい」と頼まれ、かなりの農地を預かることになったんです。それを機に、親子で農家へ転身しました。

私自身も高齢化が進む中、地域の担い手になりたいと思ったし、何より「生まれ故郷の日置のきれいな田園風景を残したい」という気持ちが大きかったです。

――就農の背景にそんな思いがあったんですね。だけど、7haって東京ドーム1.5個分ですよ。かなりの広さでは?

いえ、米を主体とした農業で生計を立てるにはまだ足りないくらいです。最低でも10haはないと。本当はもっと土地を借りたいのですが、なかなか借りられず、今は夏野菜を作ったり、花を育てて出荷したりしながら、少しずつ収入を確保しています。
それに、農家は月によって収入にばらつきがあるのも悩みです。収穫期はボーンと上がるけど、全くない月もあって、結婚するとき嫁さんにかなり心配されました。

収穫後のお米は、味が落ちないよう温度15度、湿度60~70%に保たれた米倉庫で保存されます。

日々自然と調和しながら行う農作業

――農業は自然を相手にするので、思い通りにいかないことも多いでしょうね。

えぇ、夏場はカンカン照りのもと作業しますし、冬は雪が降る中、かじかむ手でネギを掘ることもあって、気候の影響を受けることは多いです。
けど、自然に勝つことはできませんから、こちらが合わせていけばいいんです。雨が降る中、無理やりトラクターを運転しても、土が悪くなり機械が故障するだけ。それよりも自然の力を借りて、雨が降りそうな時に苗を植えれば、水やりをしなくて済みます。自然と調和しながら作業することが大切です。

――なるほど。自然に逆らわず、上手に調和すればいいんですね。ちなみに、以前設計事務所でお勤めだったと伺いましたが、今の仕事とどちらが向いていると思いますか?

設計事務所の仕事をしていた頃は、大工さんや施主さんら、人との対話の中で仕事が進みました。それはそれで楽しいんですが、やはりストレスもあります。その点、今は自然との対話、植物との対話ですから、ストレスが貯まることはありません。

――たしかに、今の仕事は人より自然と対話する時間の方が多いですね。

私にとって、自然は子どもの頃から常に身近にあるものでした。夏は海に行って遊んだり、冬は雪合戦したり。当時はそれが当たり前のことだと思っていましたが、農業を始めてからは、四季を感じられるこの環境が、どれだけ特別なものかよく分かりました。

知れば知るほど、町への愛着が湧く

――吉田さんにとって、生まれ故郷の日置地区はとても大切な場所なんですね。

もちろん、良いところばかりではありませんよ。日置は商店が少なく、夕方になるとどこも閉店して、日用品を買うのに隣の府中地区まで行かなければなりません。最近は通販やインターネットで購入できるところが増えたとは言え、やはり不便です。
だけど、自分が生まれ育った場所ですし、大人になり、この地域の歴史や文化を学ぶ機会が増えてからは、ますます愛着が湧くようになりました。実は宮津って縄文時代から人が住んでいたくらいとても歴史のある町なんです。なかでも、この日置地区は特に栄えた集落で、資料によると、丹後一円から人が集まりお祭が執り行われたと言われています。

春に種を撒き、半年間、精魂込めて育てたホワイトスター。土をとり、長さを整え、出荷まで丁寧な作業が続きます。

――日置地区に、そんな由緒ある場所があるんですか?

若田神社と言って、今でも、毎年4月に行われるお祭は地域の一大イベントです。太刀振りや神楽などの神事があって、そのために1ヶ月も前から練習が行われます。私も5~6歳の頃から参加していて、当時はお兄さんたちが太刀を振る姿に憧れ、「いつか僕も!」と思っていましたし、実際に自分が太刀を振る番になると「小さい子らにカッコ悪いところを見せられん!」と真剣に取り組みました。
お祭を通して子ども同士仲良くなるし、大人も練習後に一杯飲むので親睦が深まります。ここ2年はコロナ禍の影響で中止になってしまって。子どもたちにこの町の文化を伝えられないことが残念です。

――お祭って神様への祈願が目的ですが、地域の繋がりを生む効果もあるんですね。

そうですね。他にも、地区対抗の運動会をはじめいくつか地域行事があって、秋に行われる文化祭は、小学生が書道や絵画を展示したり、農家さんが作物を販売したり。婦人会も模擬店を出店し、子どもからお年寄りまで幅広い世代の人たちが参加します。こういう行事も、地域の関係を築く場になっていると思います。

今後も、美しい田園風景を守るために

――さまざまな行事を通して、関係性が築かれているんですね。農業関係の繋がりもありますか?

えぇ、何人か仲間がいて、その中の一人がレモンを栽培しています。ずっと一緒にお祭に参加していたので昔から知っていますし、同じ職業ということもあって今でもたまに情報交換しますよ。

――それは心強い存在ですね。

ただ、今、日置地区の農業を担っているのはほとんどが70~80代です。その方々がリタイアされた時のことを考えると、代わりに田畑を耕す人が必要ですし、その人がきちんと収入を得られるよう、機材設備も整えなければいけません。今は日置内でも個々がそれぞれの方法で経営していますが、今後は互いに協力する場が必要でしょう。また、この地方の「丹後産コシヒカリ」の知名度をあげる活動にも取り組んでいきたいと思っています。

――吉田さん個人として、考えておられることはありますか?

耕作放棄地を利用して果樹栽培をしたいですね。実は今、自宅の庭でブルーベリーを実験栽培しているんですよ。
あと、果樹を利用した観光農園も。ビニールハウスではなく、なるべく自然に近い形で出来ればなと考えています。法人化も視野に入れていますが、何でも一足飛びには出来ませんから、まずは一歩ずつ進んでいくつもりです。

共に家業を継ぎ、日々切磋琢磨する弟の正人さんと。緑生い繁るこの田園風景も、秋には稲穂が実り一面が金色に輝きます。

text : Hikari Nishimura
edit : Ryoko Takeda
photo : Yuki Nakai

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