#くらす

「自分を取り戻す」
そのために選んだ海辺の暮らし

井上拓哉さん

2022.01.15

#くらす #移住者 #Cエリア_栗田_由良

Cエリア_栗田_由良

京都府最大の流水面積を誇る由良川が若狭湾に流れ込む由良地区は、森鴎外の『山椒大夫』の舞台としても有名です。美しい砂浜が広がり、自然が織りなす四季折々の風景の中、居酒屋レストランを営みながら愛犬とのスローライフを送っておられる井上さんに、移住と今の暮らしについてお伺いしました。

何かを始めるのではなく、なにより自分を大切にするため

―― 移住を決めたきっかけは何ですか?

大病を患ったのが直接のきっかけです。もともと京都市で生まれ、小学校低学年のころに大山崎町に引っ越しました。高校卒業後、大阪に出てホテル業や飲食業に就いていたのですが、山梨や岡山など、単身赴任の生活を送っているうちに、40代で体調を崩して救急車で運ばれ、即入院になってしまったんです。一度は仕事に復帰したのですが、その後、メンタル的にも参ってしまい、なにもできなくなってしまいました。
このままではいけない。健康を取り戻す最後の手段は、環境を変えるしかない。そう思いました。商売や、なにか新しいことを始めようということではなく、静かにおちついてのんびり暮らせる場所を求めていたのが移住の理由です。

―― そうだったんですね。でも、なぜ由良地区を選ばれたんでしょう?

海がすぐそばだからです。幼いころ、宮津に住む叔父の船に乗せてもらい、魚釣りをしていた楽しい思い出がありました。そのころから海が好きで、海の近くに住みたいと、夢というか憧れがあったんです。体調を崩し、環境を変えよう、海が見えて、静かな場所に引っ越そうと考えた時に、宮津市のホームページで空き家情報を知り、条件にあう物件がこの家でした。まぁ条件といっても、一軒家で、犬が飼えるくらいの広さがあればくらいの大雑把なもんですけどね(笑)。

百人一首46番にも詠まれている由良の砂浜。

―― 由良での生活を始められて、体調はいかがですか?

よくなりましたね。メンタル面では、薬を飲む必要がなくなりましたし、病院に通うこともなくなりました。調子に乗って、持病の薬も勝手に飲むのをやめたら、先生にえらい怒られましたけれど。海がそばにある。それだけでずいぶん気持ちが変わりました。

自分のペースで地域の人と共に生きられる幸せ

―― 今は由良地区で、どんな生活を送っておられるんですか?

ゴールデン・レトリバーのタロウの散歩から一日が始まるんです。
そのあと、店で出す料理の食材を仕入れるため7時15分くらいに家を出ます。今の時期(取材は11月初旬)、漁に出ていた船が7時半から8時の間に帰ってくるんですよ。船が戻ってくるまでの間、漁港で待たれる方も多いのですが、僕は栗田くんだの奥に行って、そこで写真を撮っています。

愛犬との時間を一番大切にされている井上さん。

越浜おっぱま島陰しまかげ漁港、それに栗田の漁港や海岸の眺めがすごくきれいなんです。特に朝霧が出る秋がいい。福知山の方から由良川に流れ込んできた霧と、舞鶴の山すそから昇ってきた朝日が由良川の河口の上でマッチすると、すごく幻想的で、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンが出ますね。また、もう少し寒くなってくると、海面から湯気が出るんです。こちらも幻想的で。秋から冬にかけての朝の風景が僕は一番好きですね。
仕入れが終わったら、ランチやディナーの準備をし、合間に昼寝をして、夜の営業を迎えています。
店の仕事が生活の大半ですが、とはいえ、儲けようという気はないんです。生活できれば充分です。贅沢しなければ、生きていけますから。

井上さんが撮影された、朝霧がたちのぼる由良海岸。

――どんなお店なんですか?

お客さんは、地元の人と観光で来られた方と半々くらいです。地元の人にも気軽に来ていただいて、観光でこられた方にも宮津の魚を食べて呑んでもらえる。そんな場所になることを心がけています。
店をしていて一番の喜びは、地元のお客さんが「えっ、こんな魚あるの?」「この魚で、こんな料理が作れるんだ」と驚いてくださったときですね。意外と地元の人も、宮津でどんな魚が獲れるのかとか、獲れた魚の調理方法を知らなかったりします。ですから、前職の経験を活かして、いろんな調理法で提供しているんです。

井上さんが撮影された写真が展示されている店内のギャラリースペース。

――地元のお客さんも多いんですね。地域にはもう慣れましたか?

もともと、移住を決めたときに飲食店をするつもりは全くありませんでした。家を決めてから、この間取りならお店ができるなと思ったんですが、おかげで自然と地域の人との交流が始まりました。
加えて、由良桜祭り、夏祭りや球技大会、そして運動会と、年間を通してイベントがたくさんあるんです。それぞれのイベントはすごく盛り上がります。例えば、桜祭りでは、駅のロータリーをステージに見立て、地域でサークル活動をされている皆さんが発表する場になっていたり、地元のお店が模擬店を出したり。ちょうど店をオープンした時が桜祭りの時期だったんですが、地域の人から「出店してくれん?」と声を掛けられて、お寿司を百人前用意しました。
また、球技大会や運動会では、「うちの地域が勝つんだ!」との意気込みが強く、普段は由良を離れて暮らしている子どもやお孫さんなんかも帰ってきて、参加するほどです。それでも選手が足りないと、あれもこれもといろんな競技に出場するよう頼まれ、僕もそうでしたが、移住者は引っ張りだこになると思いますよ。こうしたイベントを通じて、地域の人と親しくなっていきました。

井上さんが撮影された由良祭りの写真。コロナ禍で2年開催できていませんが、再開されたら大勢の人たちで盛り上がることでしょう。

――移住して大変だったことって何ですか?

今住んでいる古民家は、お風呂が灯油で沸かすタイプなんです。引っ越してきたときに修理する必要があったんですが、今の時代、そういうタイプのお風呂があることを知らず、どこに修理をお願いすればいいのかわからずずいぶん困りました。
移住してから「これって、どうしたらいいんかな?」と気が付くことはたくさんあります。その時に一番困るのが、“誰に相談すればいいのか分からない”ことです。「こういう時は、こうする」といった、なにかマニュアルのようなものや、相談窓口の一覧があるだけでも、ずいぶん違うのになと思います。

由良での暮らしで見つけた新たな目標

―― もうすっかり自分らしい生活を築いておられますね。今後、井上さんがやってみたいことはあります?

もっと多くの人に宮津の魚を知ってほしいですね。宮津は魚の宝庫だと感じています。由良川が運んでくる栄養分によって上質なプランクトンが育ち、それを餌にしているイワシも豊富。そしてそのイワシを求めて、もっと大きな魚が……と四季折々、多種多様な魚が宮津にはいます。
中でもさわらの水揚げ量は福井に次いで2位です。「京鰆」という名で少しずつブランドとしての認知が広がっていますが、高級魚だけでなく、普段家庭で食べられる安価でおいしい魚もたくさんいます。そのことを知っている人は、まだまだ少ないのが現実なんで、もっと多くの人に宮津で獲れる魚の魅力を伝えていければと考えてます。
また、趣味のカメラでは、これまで風景を中心に撮影してきましたが、人物も撮りたいと思うようになってきました。特に漁師さんって、格好いいんですよ。仕事に取り組んでいるときの真剣な表情もいいし、漁を終えて港に戻ってくるときの船の上で見せる、ほっとした表情もいい。つなぎ姿や、煙草をくわえて一服している何気ない仕草もサマになっています。他にも、料理人さんが漁港で魚を吟味しているときの真剣なまなざしもいいなと感じます。そうした写真を撮りためて、個展を開くのが将来的な夢ですね。

text : Masaya Tomikura
edit : MITEMI editorial team
photo : Yuki Nakai

シェア

一覧へ戻る