#くらす

自分らしく海と向きあい
今までにない新しい漁師へ

本藤脩太郎さん

2023.05.03

#くらす #地元民 #Dエリア_吉津_宮津

Dエリア_吉津_宮津

「く」の字型に入り組んだ宮津の海は、宮津湾、栗田湾、阿蘇海の3つの海からできています。その中の一つ、宮津湾で2年前から働く本藤脩太郎さんは、現在26歳の若手漁師。厳しい自然を相手に働く漁師とはどんな暮らしを送っているのでしょうか? じっくりお話を伺うと、「漁」という枠に捉われない新たな漁師像が見えてきました。

心機一転、研究職から漁師の道に

――こんにちは。今日も漁に出ていたんですか?

はい、午前中はナマコ漁に出ていました。漁師になって最初の3年は修行期間と決めているので、今は父の元で船の操り方や漁の戦略を教わりながら、主にナマコ漁とアサリの養殖をしています。

――お父さんが漁師ということは、本藤さんも子どもの頃から同じ道に進むつもりだったんですか?

いえ、全然(笑) 中学で化石に興味を持ってから、大学、大学院とずっと地球惑星科学を学び、一時は研究職を目指していました。だけど僕には、一日中部屋にこもって論文を読む生活がどうも合わなくて。一般就職を考えた時、ちょうど頭に浮かんだのが地元の漁業のことだったんです。

あの頃、よく実家から下宿先に魚介類を送ってもらっていたんですが、友達に振る舞うと、みんな「おいしい! おいしい!」ってすごく喜んでくれるんですよ。それを見ると、やっぱり漁師の息子としては嬉しいじゃないですか。地元の魚のおいしさを改めて感じ、宮津の海を守る一助になりたいと思いました。

取材日は天気が良く、脩太郎さんの船を見せていただきました。

――それで思い切って方向転換したんですね。

他にも、漁師の高齢化が進んで若手が不足していること、農業離れで里山の管理ができなくなった分、陸地から流れてくる栄養分が減って魚貝類が少なくなっていることも気になって。SNSで情報発信に慣れた僕ら世代なら「海でこんな大変なことが起きています。一緒に海を守りましょう」と広く伝えられるんじゃないかと考えました。

――そんな考えがあったんですね。

まぁ一番は、僕が残りの人生、宮津でおいしい魚を食べて暮らすことが目的なんですけど(笑) でも、僕なりに自分ができることを真剣に考えていて、例えば、漁業権の問題も、今は少しずつ変わってきたけど、やっぱり漁師の家系に限定されているところがあります。もちろん、海を守る上で信頼関係のある人に権利を渡すのはもっともなんだけど、このままでは新しい人が入ってこず停滞する一方だから。資源、高齢化、若手不足の問題を考えると、漁師の息子の僕だからこそできることがあるんじゃないかと思っています。

少しずつ変わってきているが漁業権の問題は、若者の新規参入の大きなハードル。

アルマジロから解放されぐっすり熟睡

――この春で3年目を迎えましたが、漁師生活は慣れましたか?

はい、体を動かして働くって本当に気持ちがいいんですよ。今までは、研究室にこもって文献ばっかり読んでいたから。ひどい時なんて、研究テーマのアルマジロに夢の中で追いかけられて大変でした(笑)

――アルマジロに追いかけられるって……。精神的にだいぶ追い詰められていたんですね(笑)

そのことを思うと、今は体を動かす分、朝までぐっすり熟睡できるし、朝日を浴びながら船を走らせる瞬間は最高です。冬は寒さが厳しいけど、それでも四季を感じられる良い仕事だと思います。

それに、漁師は日が沈むと作業できないから残業もありません。今の時期なら夕方5時とか5時半頃には仕事が終わり、その後はのんびり本を読んだり、YouTubeを見たり。体力作りに筋トレやランニングをして過ごしています。

消防団や祭りなど地域の活動にも参加しているという。

――まさに日の出と共に働き、日の入りとともに眠る生活スタイルですね。うらやましいです。漁についてはどうですか?

今年の2月から、一人でナマコ漁に出るようになり、昨日は400gくらいのナマコが18キロの規定数獲れました。まだ父にアドバイスをもらいながらですが、最近ようやく手応えを得られるようになってきたって感じです。

――そんな大きなナマコが獲れるんですか⁉

1㎏くらいの大物が獲れることもありますよ。宮津では、海産資源を有効に活用するために300g以下のナマコは一度海に戻し、大きくなってから獲ることになっています。漁獲量も決まっていて、一人あたり一日に18㎏、漁期間全体で500㎏、また漁業組合全員で10tと、乱獲を防いでいるんです。

宮津湾のナマコ漁での資源管理の取り組みは持続可能な漁を考える上で大変重要なもの。

――海を守りながら、水産資源を長く活用できる仕組みを作っているんですね。

だからその分、18㎏獲れないと「一人前」じゃないっていうか。ベテランの漁師さんたちってやっぱりすごく早いんですよ。すぐに18㎏に達して港に帰っていきます。

漁は漁でも、泥を獲る漁師

――さすがベテランさんはすごいですね。若手と何が違うんですか?

どうですかね。漁の戦略の立て方、漁具の種類や大きさはみんなそれぞれ自分のやり方があって、そこらへんってお互い企業秘密だからわからないんです。

だけど僕が思うに、ベテランの人はトラブルが少ないんじゃないかな。事前の仕込みできちんと準備していたり、何かあってもそれをうまく回避できたり。そういうとこじゃないかって気がします。

――ベテラン漁師たちの背中を見て、本藤さんも一歩ずつ前進している感じですね。

まだ父のもとで働いているので、独り立ちはしてないんですけど。でも、ナマコ漁を始めて自分の収入源ができたので、最近は結構自分の意見を言えるようになりました。その分、父子喧嘩も増えましたけど(笑)

――成長の過程では喧嘩もあると思います(笑)若手不足の問題についてはどう感じているんですか?

「なんとかしなきゃ」と思いつつ、人数が少なく競争相手がいない分、「チャンスだな」と思うところもあって。今の宮津湾って、僕のすぐ上はもう60歳前後なんですよ。新しいことにチャレンジしていない分、未開拓な部分も多く、活用できていない資源がいっぱいあることに気づきました。

それで、この間やってみたのが海底の泥を使った石鹸。宮津湾は、海底からミネラルや酸素を含んだ湧き水が出ていて、おかげで泥に臭みがなくさらさらしているんです。それを使い、栗田地区で石鹸作りをしているSAPO JAPANの河田さんに声をかけ「宮津の風景プレミアムソープ 海底クレイ」という石鹸を作りました。学生時代の同期に地質研究している子がいるから、そこに頼んで採取した海底の泥の成分を調べてもらって。

――学生時代の経験もしっかり生かされていますね。

普通「漁師」というと、魚を獲るイメージだから、泥を獲る漁師なんていないでしょうね。でも、それもいいかなって。僕は「漁師」というイメージから外れるような漁師になりたいと思っているので。

宮津湾から新しい「宮津名物」誕生⁉

――いろんな人がいた方が面白いし、その分、可能性も広がるから、すごくいいことだと思います。

先日も、笹川日仏財団の援助でフランスへ視察に行ってきました。丹後と環境が似ているフランスのブルターニュ地方の状況を見せてもらうってことで。

そこで知ったのは、向こうは海に保護区を作って、プランクトンの大きさや数を調べて動向を管理しているということ。それって、木を切って山を管理する日本の里山と同じ発想なんですよね。まぁ、ブルターニュとは漁の仕方が違うからそのまま真似るわけにはいかないだけど、徐々に検証しながら良いところを取り入れていきたいと思っています。

笹川日仏財団の援助での視察の様子(ご提供写真)

――いろいろ将来のビジョンが描かれているみたいですね。

最近考えているのは、トラエビっていう5㎝くらいのエビで、よくナマコ漁の網にかかっているんですけど、これを素揚げして食べるとめちゃくちゃ美味しいんですよ! 今のところ食用の漁の許可がないから、資源として全く活用されていないけど、もしこれが獲れたら、宮津限定で流通させて、駿河湾のさくらえびや、富山湾の白えびみたいに、観光資源にできるんじゃないかって。そうしたら地元も潤って、いい町おこしになるでしょ。

透き通るきれいなトラエビ。一般での流通はほぼない。

――良いアイデアですね!

このトラエビ漁で安定した収入が得られれば、漁師という職業ももう少し魅力が出てくるでしょうし。僕としても、宮津湾でもう2~3人増えてくれれば、ヒトデの除去など海を守る活動も強化できるんじゃないかって。

実は僕らの年代は、宮津の海でも「ゴールデン世代」と言われていて、阿蘇海、栗田湾、宮津湾と各エリアに同世代の漁師がいるんです。

――それならお互いに連携していけそうですね。

はい、受け継いでいくところ、変えていくところ、いろんな視点で考えながら、みんなで宮津の海を守っていきたいです。僕の夢はこれからもずっと、宮津でおいしい魚を食べて暮らすことですから。

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