#たべる

食べることは生きること。
食べ物の力を感じられる『すヾ菜』

小西美鈴さん

2022.02.12

#たべる #地元民 #Dエリア_吉津_宮津

Dエリア_吉津_宮津

吉津地区須津で無農薬野菜と京都産の物を使ったこだわりのランチをつくる小西美鈴さん。一品一品丁寧な味付けでたくさんの種類の入ったランチに込めた思いを伺いました。

愛情を注いで作られた野菜から生まれる料理。

――おいしそう!とても色鮮やかな料理ですね。

はい、私はとにかく野菜の種類をいかにたくさん食べてもらうかを、いちばん考えているんです。今日は大根にカブに子持ち高菜に他にもいろいろ。カブは焼いたらすっごい美味しいんですよ。火が通ったら、甘くて柔らかいの。あと、ニンジンの葉っぱはふりかけにしてます。ごはんと一緒に食べたら何杯でもいけちゃうでしょ。

メニューはこだわり畑のご馳走ランチ1種1,200円(コーヒー付き)とスイーツ(300円)の2種。この日は地元で上がったヒラメのお刺身も。魚は地元の事業者さんにその日のおすすめの天然魚を配達してもらいます。

――素材の味が際立っている気がします。

それは、とれたばかりの新鮮な野菜を使ってるから。この小鉢はネギとイカの辛子酢味噌和え。このあたりでは「鉄砲和え」っていうんですけど、今の時期はネギが最高においしいから、お客さんに食べてほしくて。私の料理は、とにかく自分の納得できる食材にこだわってます。調味料も佃煮もできる限り自分で作ったり。化学調味料とか添加物を控えて、なくしはできんけど、市販の粉末を使うんじゃなくてきちんとダシからとってね。そういうのは体にとって一番大事かなって思ってます。野菜とか魚もそう。だから、料理で使う野菜もほとんど自分の畑でとれたものなんです。自分で作ると納得できるし安心でしょ。

――え!野菜も小西さんの手作りなんですか?

そう、岩滝口駅の近くに私の畑があるのと、毎週ボランティアの人に来てもらってる別の畑が200坪くらいあって、そこでいろんな野菜を農薬を使わずに育ててます。今の季節は大根が6種類とカブは3種類。キャベツにネギにブロッコリー(取材時は1月中旬)。いっぱい育ててるから、知り合いの人があれ頂戴これ頂戴って(笑)でも、もらってくれた人が「小西さんのとこの野菜で料理をしたら、子供も旦那も反応が全然違うんですよ」って言ってくれるんです。特に緑の野菜の味が他のとは違うって。うちの野菜は自家製の「生ごみたい肥」を使って育ててるから、味が普通の野菜よりもうんと濃いんです。

見ても楽しい色鮮やかな美鈴さんの野菜たち。(ご家族提供写真)

――それって、普通の肥料とは違うんでしょうか?

私はお店で出る生ごみを使って、たい肥を作ってます。「ブルーシー阿蘇」といって、生ごみたい肥を作る地元のグループに15年くらい前から参加してて。畑にあるたい肥箱に毎日生ごみを持って行って、そこで発酵させるんです。そうすると、微生物が増えて、悪いものを全部吸収してくれる。1か月で多いときは60キロぐらいの肥料ができます。そうすると、ゴミ袋の数も減って、とってもエコでしょ。私たちのグループでは「エコの環野菜」って名付けてます。化学肥料を使わず、農薬による消毒もしない。体にも環境にも優しい作り方なんです。

――すごい!SDGsを先取りしていたんですね。でも、野菜を無農薬で作るのって大変じゃないですか?

私の場合は、野菜作りはストレス解消になるかな。野菜におしゃべりしながら作るんですよ(笑)虫にいっぱい食べられたときは「あらら、どうしたの」ってね。「えーなんでー」とか言って(笑)そしたら、野菜が元気になってくる。「ごはん足らんかった?ごめんよ」って言いながら肥料をやったり、そのときそのときに合わせて声掛けしてるかな。そうすると、1週間でこんなに変わる?っていうくらい野菜って変わるんです。あと、よく野菜のことを観察してます。色艶を見て、「これはおなかすいてるわ」と思ったら肥料をやったり、逆に「これは肥料のやりすぎでおなか壊してるわ」っていうときもあります。野菜の顔を見とったらわかる。そんな風に、愛情をもって育てているとやっぱり楽しいんです。

(ご家族提供写真)

料理も畑もベースにあるのは母の生きざま

――お店を始めたのはどういうきっかけがあったのでしょう。

ここに店を構えて、40年近くになります。24歳で結婚して、この須津に引っ越してきました。最初は近くにあった食堂を任されてやってたんです。でも通いやと、朝早く行って、うどん出汁取って、うどん打って、ていうのがすごく大変やった。私、うどん打ってたのよ(笑)忙しいときはうどんの生地を寝かせて、それから家族のご飯を作ってお昼になったら店行って。2時に店が休憩になったら家に帰ってまたご飯作って、また5時になったら店に戻ってやったから(笑)それなら、家で店をできたらすっごい楽やろなあって。だからお父さんと話し合って「私一人で切り盛りするから、家に店作りたい」って言いました。そしたら、家も守りながら店もできるようになるやろうって。それで、庭に店を建てたんです。お昼は定食とお弁当、夜は居酒屋という感じで、今みたいに野菜にこだわって、というのはありませんでした。とにかく当時は生活のため。家も大事やったから、お客さん切れたらパッと家戻ってごそごそっと家事をしてきたりとか。

――そうなんですね。料理はもともと得意だったんですか?

料理はすべて母の味がベースなんです。母があまり上手じゃなかったら、今こうやって料理をしてないかもしれないと思います。
私の出身は伊根町の新井崎という漁師町です。子どもの頃、店は日用品を売るような商店が2店だけで、お肉だなんだっていう生鮮食品は置いてなかった。だから、食事といったらお米と野菜と魚だけですよね。そんな田舎にも、都会から海で潜って遊んだりする観光客がよく来てました。私の母は饅頭屋をしていたんですが、私が10歳のときに父が早く亡くなって、それで生活のために民宿を始めたんです。金曜日の夜になると、大阪からスーツを着た人たちが毎週のように泊まりに来ていました。だから、私も中学に入るか入らんかっていうぐらいから、料理を手伝わされてました。お寿司を握って、不格好やったら母に「それ牛の背中みたいになってるな」とか、「頭をもっときゅっと抑え」とか言われて(笑)。母は厳しいというよりも、全部一人でやりなさいというような人で、だから否が応でも料理は学んでいきましたね。

――では、今の料理にもお母さまの味が受け継がれているんですね。

ええ、母から教えてもらったことをずっと再現したくて試行錯誤しました。何年かかったかな、今の料理になるまで。そのおかげで、いろんな料理が作れるようになりました。ほんとうに、基本は母の料理にあるんです。畑もそう。当時、母もジャガイモやネギをちょっとやってて、休みの日に畑に連れて行ってくれて。そこでいろいろなことを教わりました。鍬の入れ方とか野菜の育て方とか。そういうことが全部今も生かされてる。だから、母の生きざますべてが、私の土台になってるかな。

紫大根の大根おろしに、ゆずをかけるとピンク色に!口にも目にも楽しい料理がたくさん。

食べ物の力は生きる力に繋がる

――今のランチのスタイルになったのはいつからですか?

夜はずっと居酒屋をしてたんですけど、年齢とともにお酒を飲む人の相手もできなくなってきて。で、夜はやめて昼のランチだけをしていたんです。そのときに、たい肥を使った野菜作りを始めました。最初は半信半疑だったんです。生ごみが減るならいいかなって。でもそうやって作った野菜を食べていると、体調がすごくいいことに気づいたんです。それまで季節の変わり目にはいつも寝込んたんですが、「あれ、今年は何もなってない」って。それで「この野菜ってすごいんだな」って思うようになりました。それと同時に、化学のものが体によくないってことにも気づけました。だから、お客さんにも、体にいいものを食べてもらわなあかんわって思って。それで、8年前から食材にこだわった料理を作るようになったんです。

――たしかに、小西さんの料理を食べると、野菜の力をすごく感じます。

私、「この料理は体にいい」って、根拠なく言ってるんです(笑)でも、それを一番に証明してくれたのが、お父さんでした。
お父さんの大腸がんが見つかったのが9年前です。そのときすでにステージ4で、肝臓にも転移してた。子供たちは「お母さん、5年生存率20%ぐらいらしいで」って。「えー-」と驚きました。でも私ができることって言ったら、料理を作ることで支えるしかないなって思って。こうやってお店でも野菜を使った料理をお客さんに食べてもらってるんやから、何も難しいこと考えずに、お父さんにもこの野菜の力を生かした料理を食べてもらえばいいんだって。そうして、普通にご飯を食べてもらってたんです。そしたら、抗がん剤を変えるときに入院するぐらいで、ほとんど家で過ごしてくれました。しんどいって言って寝ることもなく、畑もしてくれた。抗がん剤打って数日したら「ちょっと畑行ってくる」って。「お父さんちょっと待って待って」って(笑)それくらい元気のままだったんです。

――体にいい食事が、病気に立ち向かう力になったんですね。

そうなんです。ただ、がんの治療は難しくて、おととしの夏、闘病生活ももう7年というところで、先生にもう長くないと告げられました。それでも、「ここまで元気なのはすごい」、「小西さんの体すごいな、何食ってるんだ」って言われた。「小西さん、免疫が落ちたことがありませんよ」って。それで初めて、「あぁ、ここまでやってきたことは間違いじゃなかったんだな」って心から思えました。免疫を下げなかったこの野菜の力はすごいんだなって確信できたんです。
お父さんは次の冬に75歳で亡くなりました。でも、最後まで、寝込んだりすることはなかった。病院ではなく、ずっと生活していた家で一緒にすごしながら看取ることができたんです。免疫が下がらないから、底力が残ってたのかな。だから食事の力ってすごいんです。それをお客さんにも伝えたい。だしを取ったみそ汁の作り方とか、自然の食材を使った料理の作り方を伝えたいんです。体によくない添加物や化学調味料を使わない料理をできるだけしてくださいって。

お孫さんと畑仕事をする生前のお父さん。病気を感じさせない穏やかな笑顔をされています。(ご家族提供写真)

丁寧に育てた野菜と、丁寧に作られた料理で変わる何かがあるということ

――店に訪れるお客さんにも、料理を食べて健康になってほしいという思いがあるんですね。

今のランチの形になって、女性や健康を気にする人が多く来られるようになりました。なかには仕事でくたくたになって、「ごはんを食べて元気をもらいたい」ってお客さんもいます。そういう人とおしゃべりをしたり、食事をたべてもらったりして、いっぱい元気になって帰ってもらうのがやりがいになってます。
実は10年以上前から、地域の高齢者の人のために、夕食を作ってて。今は7,8人分のおかずを作って、配達してもらってます。その中に、ずっと夕食をとってくれている人が、最初は健康診断で何個も引っかかっていました。でも4年くらいしたら、「何にも引っかからなくなった、小西さんのおかげだ」って言ってもらえたんです。「これからもずっとつづけてよ」って。食事の力はすごいんだって、そうやってお客さんから教えてもらえることが、すごく自信になりますね。

――そんな食材の力を、宮津では強く感じます。

そう、都会にはない宮津の魅力は、おいしく新鮮な食材が手軽に手に入ること。おいしいっていうより、野菜にしても魚にしても、「生きているものが届く」っていうのが大きな魅力だと思います。お店でも、お客さんとは料理の話が多いです。「おいしい料理を食べられて、料理教室も受けられるなんて」って言ってくれる(笑)私は、野菜の力を多くの人に知ってほしい。それが健康の元だよって。同じ食べるなら、体に負担のかからないものを食べましょうって、できる限り伝えていきたいです。

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