#くらす

出会いの中で見えてきた
新しい働き方、新しい自分

重田浩志さん

2021.11.22

#くらす #移住者 #Bエリア_日置_府中

Bエリア_日置_府中

緑豊かな山が聳え、清々しい阿蘇海の風景が広がる府中地区。ここで暮らす重田浩志さんは、奥様の舞さんとの結婚を機に宮津へ移住されました。現在は、味噌づくりの仕事に励みつつ、ご家族と穏やかな毎日を送っておられます。移住後、どのように新しい生活を築かれたのか、お話を伺いました。

子育て環境を求めて東京から宮津へ

――お二人は東京で出会われたそうですが、いつ頃から移住を考えておらたんですか?

うちの奥さんが宮津出身で、子どもの頃から放課後は海で遊び、休日は山でキャンプし、自然の中で育ったので、結婚前からずっと「子どもを育てるなら田舎で暮らしたい」と言っていたんです。

「東京は子どもが自由に遊べる場が少ない」と自身の幼少期を振り返る重田さん。
お子さんたちの姿を嬉しそうに眺めていました。

――重田さんは生まれも育ちも東京だそうですが、地方移住に不安はありませんでしたか?

一番は、やっぱり仕事のこと。東京にいた頃は、インテリア企業で働いていましたが、こっちに来たらそんな仕事ありませんから。どうやって働けばいいか……田舎での働き方が全く想像できませんでした。
それで、いろいろ考えた結果、転職して看護師になろうと思ったんです。結婚後、看護学校に3年通って看護師免許を取得し、宮津市内の病院に内定をもらってから移住しました。

――では内定も決まり、順調に新生活がスタートしたんですね。

いや、実際に宮津へ来てみるとビックリすることもいろいろありましたよ。例えば、地域との関わり方。移住前に僕が住んでいた地域では自治会のような集まりがなく、ご近所さんと顔を合わせても「どうも」って頭を下げるくらい。けど、ここに来たら、皆で地域の草を刈ったり、祭の練習をしたり……。最初は「せっかくの休日に、なんでこんなことしなきゃいけないの?」と思いましたよ。

――それは相当ギャップがあったでしょうね。

だけどね、だんだん慣れてくるものです。自治会に顔を出していると自然と仲良くなるし、子どもたちが祭で楽しそうにしていたら「自分も協力しよう」って気になるし。「地域の一員として町を守る」ってことが理解できるようになってくる。僕みたいに偏屈なタイプですらそう感じるんだから、たぶん皆そうなんじゃないかな。

「世屋みそ」との出合い

――移住後、他に変化したことはありますか?

奥さんがUターンなので昔からの知り合いが結構いて、みんな面白いことをしているんですよ。オーガニックのお米を栽培する農家とか、陶芸家とか……自分で起業して、試行錯誤しながら頑張っている自営業の人が多い。それを見ていると「あぁこういう働き方もあるのか」と気付いたし、徐々に「僕も自分が社長になってしっかり稼ぎたい!」という意識が芽生えてきて。東京で会社勤めしていた頃は自分で事業を起こすなんて想像もしなかったけど、宮津に来てから「働く」ってことへの考え方が変わったと思う。

――たしかに宮津市は、昔からの個人商店や、漁師、農家など自営業が多いですね。

それで「自営業もいいな」と考えていたら、ちょうど世屋地区にある「世屋みそ」が後継者を探していると聞いて。さっそく代表の西川栄さんを訪ねたんです。

――これまでと全く違う業種ですが、抵抗はなかったんですか?

それがね、実際に体験してみると想像以上に面白かったんですよ!麹菌をどうやってうまくお米に繁殖させ、おいしい味噌を作るか、とか。僕は結構物事を深く掘り下げるのが好きだから、案外自分の性格に合っているなって。それにうちは奥さんが料理上手で、栄養士と調理師の資格を持っているから、その腕も生かせるし。

――では、すぐに決断されたんですか?

いや、後継者がおらず廃業の危機にあるということは、それなりに理由を抱えているということです。本当に採算が合うか、事業として継続可能か、詳しい財務状況を調べさせてもらうと、結構リスクがありました。
それでも最終的に決断できたのは、「うちはずっと『世屋みそ』を使っているんだよ」と言ってくれる人がいたから。「この味噌は50年もの間、大勢の人に愛されてきたんだ」と分かると、なんかジーンと胸打たれるものがあって。せっかく地域に根付いた食文化が途絶えるのはもったいない。多少のリスクがあってもやってみようと決意したんです。
奥さんも「あなたが好きなことをしてほしい」と言ってくれて。その言葉に背中を押され、2020年11月に正式に事業を引き継ぎました。

風味豊かでまろやかな塩味の「世屋みそ」は、1973年の創業以来ずっとこの地域の人たちに親しまれています。

守るべき50年の伝統と、新たに開拓する自分たちらしさと

――事業を引き継いで約1年が経ちますね。

味噌づくりは11月~3月に仕込み、1年かけてじっくり熟成させます。特に6月以降は、暑さが増してグッと熟成が進む時期。最近は温暖化で気温が上がり、他の味噌蔵では発酵が進みすぎないよう冷房を効かすところもあるそうですが、この味噌蔵がある世屋地区は山間部に位置するため、近くの沢からひんやり冷たい空気が流れ込み、夏でも一定の温度が保たれます。冬も、しっかり冷えこむ分、発酵がじっくり進んでおいしい味噌に仕上がるのです。

――世屋の自然をフルに生かした天然醸造なんですね。

えぇ、この天然醸造と、国産の原料を使った安心で安全な味噌づくりは、前代表の西川さんが大切に守ってこられたこと。僕らもその姿勢を継ぎ、「世屋みそ」を好きでいてくれる人たちに、変わらぬ味を長く届けたいと思っています。

自家製無農薬米から取れた米ぬかを使った、鯖のへしこも仕込み中。

――50年間も愛される伝統の味ですから、ずっと残していきたいですよね。

はい。でもその一方で、自分たちらしい味噌を作りたいという気持ちもあって。西川さんの思いをさらに一歩進めた、無農薬の米と大豆で作った新しい味噌。この春から世屋エリアで休耕地を借り、自分たちで開墾し栽培を始めています。
僕は以前から農薬の使用に疑問を感じていましたが、「現状は難しいのだろう」と諦めていました。でも、今、僕の周りには農薬を使わず、化成肥料にも頼らず、自然の力で作物を育てている人が大勢いる。それを知れて嬉しかったし、せっかくなら僕もmade in 世屋にこだわり、原料の栽培から味噌の製造まで全て自分たちで作った安心で安全なものを届けたいんです。

稲の苗箱には、水がきれいな場所に生息するモリアオガエルの卵が。
農薬を使わない、自然栽培ならではの光景ですね。

「自分」のことから「町全体」のことへ

――移住当初の目的だった、子育て環境はいかがですか?

いいですよ。府中エリアは、山も海もあって自然から学ぶことが多い。今春、長男の小学校入学前に2人で家の裏山から入り、近所の成相寺まで山登りしたんです。事前に地図で場所を確認し、コンパス片手に登山道のないところを歩いて。途中で道に迷ったり、目の前を鹿が横切ってビックリしたり……通常1時間程度で着くところを2時間かけて登りました。
息子は家に帰ってから「山は怖い」と言っています。でも僕は、それでいいと思う。怖さや危険性を体感した上で、自然の中で遊ぶ楽しさを知ってほしいから。息子にとっては、良い学びの場になったんじゃないかな。

――自営業だと、ご家族との時間もとりやすいですね。この働き方にはもう慣れましたか?

時間の使い方は、まだうまくいかない部分もありますが、自営業だと決定権が自分にあるから、人に問う必要がなく、クイックに動ける点はいいかな。その分、責任も全部自分にかかってくるけど。でも迷ったら奥さんに相談して2人で決められるから、やっぱりやりやすい。

――町の人たちとの繋がりは?

結構増えましたよ。この町には、僕と同じような趣向でやっている自営業の人が大勢いますから。
あと、他にも「町のために」って活動する人がたくさんいて、例えば、気球を上げて町を盛り上げたり、移住促進のWEBサイトを自分で立ち上げたり。観光協会でもないのに、普通、個人でそこまでする人いないでしょう?僕の頭では理解できない、面白い人がいっぱいいる。
こういう人たちと一緒にいると、最近は僕も「仕事以外のことにも、自分から参加した方がいいな」と感じるようになりました。もともとドライな性格だから、東京に居た頃は業務外のことまで世話を焼くタイプじゃなかったんだけど。今は「町全体が盛り上がれば、回り回って自分にも返ってくるんだろうな」なんて考えるようになって。

――ずいぶん考え方が変わりましたね。

ここでの出会いが大きいでしょうね。自分の力で頑張る自営業の人や、「町のために」って活動する人がたくさんいるから。そういう人たちと接する中で、働き方とか、生活とか、新しい可能性を見つけられたんだと思います。

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