#くらす

暮らしを漉き込み
手仕事で紡ぐ村の風景

Aエリア_日ヶ谷_養老_世屋

世屋地区にある、人口23人の小さな集落・上世屋。大江歩さんは2011年に23歳の若さでこの地に一人で移住し、「いとをかし工房」を立ち上げて和紙づくりを始めました。上世屋の地で教わり、そして自らも築いてきた大江さんの生き方、暮らし方、働き方とは?工房にお邪魔しじっくりお話を伺いました。

生きること≒暮らし≒仕事

――こんにちは、素敵な古民家ですね。こちらはご自宅兼、工房ですか?

はい、二階が住居で、一階が工房です。工房の半分は紙漉きの作業用で、もう半分はイベントや商談や見学体験用のスペースとして使っています。今後は店舗やgalleryとしても整えていく予定です。
私はできるだけ仕事と暮らしの境目を作りたくなくて。時間を区切って働くより、朝起きて娘を学校に見送りそのまま紙を漉いてお昼が来たらご飯を食べ、また紙を漉き、とそれぞれがゆるやかにつながっている感じにしたいので、この空間がちょうどいいんです。

台所の扉をあけるとそこからみえるのは工房。暮らしの中にあたりまえにある紙漉きという仕事の様子がうかがえます。

――般的には「仕事とプライベートはきっちりわける」と言う人が多いですが……。

私の場合、好きなことを仕事にしている分、その点が少し違うのかもしれません。作業を止めても、頭の中では考えているし、紙づくりは天気に合わせたこまごました手仕事も多いので。それともう一つは、昔からここで暮らす方々への憧れでしょうね。上世屋の方って本当に働き者なんですよ。朝日と共に起き、野良仕事、植林、牛の世話、山菜取り、保存食や加工食づくり、薪づくりにわら細工、家の手入れから機織りまで…全て車の無い時代は背板で歩いて行き来もしていたし、顔を洗う間もなかったというほど。朝起きてすぐ草むしりして、野良仕事をして……って常に手を動かしているから、90歳をこえたおばあちゃんでも全然じっとしていることがなくて。何もせずに座っていたら「手が遊んでいる」って言うんです。だから、よく言う「ママ友とお茶をする」のも、上世屋では囲炉裏を囲んでおしゃべりしながら、糸を績んだり皮取りをしたり。暮らしの中に自然と仕事が溶け込んでいて、それがみんな普通だったんです。

――以前から「上世屋の人は働き者だ」と聞いていましたが、それほどの働ぶりだったとは驚きました。移住当初は、大江さんもびっくりされたのでは?

そうですね、時代や世代の差もあるとは思いますが。私はもともと滋賀県で育ち、大学時代は各地の昔の風景を聞き取りながら絵にする伝承プロジェクトにも参加していました。上世屋と出会ったのも、その延長線のような感じで、他所にはない昔話のような風景が残っていること、自然の中で生きる尊さ、また村人たちが助け合い見守り合いながら暮らす姿に惹かれて移住しました。
当初はこの地域のことが何も分からず、村の方々にあれこれ教わりながら過ごしていたんですが、皆さんの働きぶりにはたしかに驚きました。何から何まで自分で手間ひまかけて作り、例えば蕎麦を食べるにも種を植えるところから始まるし、豆腐や味噌も大豆を植えるところから。店に買いに行くのではなく、作物ごとにいくつも畑を耕し、田畑も家も綺麗に手入れされているし朝から晩までいそいそ働いて。「みんな、いつ寝るんだろう?」と不思議に思うほどでした。

にこやかに作業される上世屋の方(大江さん提供写真)

紙漉きを通して知る上世屋の暮らし、自然

――紙すきは、移住後に始めたんですか?

はい、こちらに移り住んで2年目からです。移住後しばらくは近隣の村の仕事を手伝っていたんですが、そこで紙漉きと出逢い、仕事として取り組むようになりました。

――この地方にも紙漉きの文化があったなんて知りませんでした。

ええ、昔は上世屋の近くの畑(はた)という集落で農閑期の仕事として村の全ての家で行われていたそうです。みんな日常的に紙を漉いていたから、野菜や魚と同じように、障子紙いらんかなどと売り歩く人も珍しくなかった。日本各地を見ると、昔はそんな風に紙漉きをしていたところがあちこちにあったみたいです。今は「和紙」というと高価なイメージだけど、本来はもっと暮らしに根付いたものだし、修繕しながら形を変えてずっと使っていけるものだから。今のように海外からわざわざエネルギーを使って洋紙を逆輸入するのって、私はちょっと違和感があるんですよね。「再び自然な流れで、日常的なものとして次世代に繋がって欲しい」と思い紙漉きを始めました。

大江さんの仕事を自然と手伝う娘さん。取材中にも娘さんがいろいろと教えてくれました

――和紙って、昔はそんなに身近なものだったんですか?

元は紙と言えば和紙しかなく、和紙とも言わなかったみたいですが、傘やちり紙、日常のありとあらゆるものに使っていましたし、こんにゃく糊をもみ込んで衣服にもしていました。材料もシンプルで、パルプの元となる楮(こうぞ)や三俣(みつまた)や雁皮(がんぴ)という木があれば作れますし、身近などんな植物からも紙はできますよ。
うちの場合、楮の木を栽培するところから製品づくりまで一貫してやっていて、お客さんのオーダーに合わせて、柿渋で染めたものを太陽に当てて変色させたり、山から木の葉を拾ってきて漉き込んだり、京丹後市にある琴引浜の砂と藍染めした繊維を漉き込んで波に見立てて藍の繊維を混ぜてみたり。それぞれの紙にストーリーがあって、身の回りにあるものを漉き込みながら一つずつ紡いでいくんです。

――太陽、森、海……上世屋の自然を生かしながら和紙を作っているんですね。もし別の場所で作れば、また違った風合いになるんですか?

ええ、例えば産地によって杉の質が変わるように、和紙も産地ごとに違いがあって、同じ京都府でも綾部で作られる「黒谷和紙」は丈夫でしっかりした風合いになるし、上世屋で作る和紙は湿気が多く日当たりが弱い分、しっとり柔かな質感に仕上がるんです。

やさしい陽の差し込む中、紙が漉かれていく(大江さん提供写真)

自然も人も〝ちょうどいい″

――紙漉きを通して、この土地の風土を感じることができるんですね。

そうですね、特に水は紙漉きにとって欠かせないものなのでよく分かります。宮津には、上世屋から京丹後市にかけて40ヘクタールほどのブナ林が広がっているんですが、このブナの木って、別名「森のダム」と呼ばれるくらいとても保水力が高く、根っこに溜め込んだ水が山に染みこみ、川を通じて海に流れ、豊かな水流を生み出しているんです。水のせせらぎや水面の輝き……川で作業中していると、自然の恵みを実感します。

(大江さん提供写真)

――大江さんが上世屋で紙漉きをされる理由って、こういう自然環境も関係しているんですか?

はい、作り手の感情って全て作品に表れるので、「心地よさ」はとても大切なことだと思います。ここで暮らし、朝起きて空を見て外の草木を観察したり見たり、朝日を感じたり、鳥の鳴き声を聞いたり、時間があれば娘と一緒に裏山をお散歩したり。上世屋は自然との距離感がちょうどよくて、人とのつながりもほどよくあって、私にとって心地よくものづくりできる場所なんです。

上世屋の集落を見渡す場所から。山のむこうには海も見える(大江さん提供写真)

8個のツバメの巣が物語ること

――だけど、時には不便さを感じることもあるのでは?

上世屋のような山深い場所に住んでいると、よく「買い物はどうするの?」と聞かれます。だけど、元々は食べるものはほぼ時給自足でまかなえる文化で、隣近所からお裾分けをいただくことも多くあるし。いざとなったら、エネルギーだって木を切って燃やして、薪を作るにも石油燃料に頼る部分は多いのは事実ですが…でも、いざとなれば自分たちの力でなんとか暮らしていけるんじゃないかと思っていて。
これがもし都市部だったら「お金や電気がなくなったら生きていけない!」と不安になるかもしれないけど、ここにいて周囲の方々を見ていると、「本来、人間は自然の力を借りて生きているんだから大丈夫」と思えてきます。

――「自然の力を借りて生きる」って素敵な感覚だと思います。

環境エネルギーを考えた時、人がすべきことは何かと考えたら、やっぱり手を動かすことなんじゃないかな。昔はそれが普通に行われ、ゼロからものを生み出すことが当たり前だったから。私たちがもう一度生み出す力を取り戻し、ほどよい暮らしを次の世代につないでいくためには、文明と手仕事≒人間界と自然界がほどよく融合していくことだと思うんです。
上世屋の人は、それをよく分かっているから普段から自分の手でなんでも作るし、自然界でも「人間は生態系の一つだ」という自覚が自然とある気がする。ついこの間も「家の玄関壁にツバメが8つくらい巣を作るから、専用の出入り口を作ってあげて気づけば何世代にも渡って戻ってくるから8つも巣を守りしていて、燕が皆旅立つのを見送ってから玄関の障子を張り替える」という方もいますがおられました。そういう姿を見ると見習いたいし、人間も他の生き物の役に立ったり、困った時に助けてもらったりできたらいいなと感じるんです。

――巣が8個!?人間中心に物事を考えていたら到底できない行動ですね。

そうなんです、それを自然とできる方々なので尊敬するところが多くて。よく上世屋は「きれいな風景ですね」と言われてきたんですが、たぶん、こういう生き方、暮らし方がこの風景を作ってきたと思うんです。人の人生が景色なんだって。これから先、代々上世屋を守ってきてくれた方々がお年を召し、少しずつ村も変わっていくのかもしれないけど、これまで受け継がれてきた生き方、暮らし方に敬意を払いながら、村の風景を丁寧に育んでいきたいです。

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