#くらす

みんなの健康を「食」で支える、
農家という働き方

吉田雅典さん

2022.08.03

#くらす #地元民 #Bエリア_日置_府中

Bエリア_日置_府中

天橋立の付け根に位置する府中エリア。観光地として賑わう一方、1300年以上の歴史を持つ元伊勢籠神社を中心に多くの史跡が残り、歴史や文化の面でも魅力ある場所です。
この地で生まれ育った吉田さんは、5年前、定年を機に家業を継ぎ、今は奥さんと「府中吉田ファーム」を営んでいます。新規就農者として奮闘する吉田さんの生活について、お話を伺いました。

教師から一変、退職後は農業へ

——こんにちは。おいしそうなトマトが実っていますね。

えぇ、もうすぐ収穫です。最近は1週間くらい先まで予約が入って、たくさんのお客さんが心待ちにしてくれています。どうすればおいしく育つか試行錯誤するのが楽しいし、買ってくれた人が「おいしいわぁ!」と言ってくれると張り合いがでます。

取材時(6月中旬にはまだ青かったトマト。7月ハウスの中ではつやつやで真っ赤に育っていました。

——吉田さんは、5年前に就農したそうですが、どうやって農業を学んだんですか?

初めは何も知らなかったので本当に大変でした。中学の社会科の教師から農業って全然分野が違うから、何をやってもうまくいかなくて。ずっと悩み続けた結果、昨年の10月から京都府が主催する農業経営塾を受講したんです。受講生の中では最年長だけど、そんなこと気にしていられません。分からないことがあれば20〜30代の若い子にも質問し、真剣に勉強しました。

——教師としてベテランの吉田さんも、農業としては1年生。本当にゼロからのスタートだったんですね。

はい、後はね、いろんな農家さんを捕まえて話を聞きました。府中エリアには同世代の農家さんがほとんどおられず、私が一番若手。親父ら世代はいるものの、自分が思う自然栽培や有機栽培に理解のある人がおらず、なかなか知りたい情報を得られなかったものの、根気よく調べたら徐々に紹介してもらえるようになって。今は定期的にみんなで集まり情報交換したり、自分で作った野菜を持ち寄ったりしています。

今回、取材は府中の国分エリアにある旧永島家住宅(府指定有形文化財)にご協力いただきました。

農業を通して、幸福と感動の創造を

——もうすっかり慣れましたか?

まだ始めて5年ですから、素人同然ですよ。
でもね、農業経営塾で培った経営理念「天橋立を臨む小さな農園から幸福と感動の創造を!」をもとに日々試行錯誤しながら頑張っています。これは「アンパンマン」の作者・やなせたかしさんから影響を受けたんですが、あの人は、戦争や両親の死を乗り越え、その後も漫画家として長い間芽が出ず苦労をしたものの、いつも「愛と勇気が世の中を変える」と信じて生きてきた人です。その感性の素晴らしさに惹かれて。

——具体的には、どんなことを?

1つは、地元密着型の農園。うちで作ったお米と野菜は、この界隈の旅館や飲食店、産直市に卸しています。大量に作って都市部に出荷するのもいいけど、私が目指すのは、地元の人に安全で栄養価の高いものを届けること。やっぱり健康って、食べるものの影響が大きいから。病気にならない体をつくるため、品質の確かなものを鮮度のいい状態で届けたいです。
それから2つめは、観光農園や農業体験農園を作りたいと思っていて。今の時代、コンビニに行けばなんでも買えるし、スーパーで惣菜を買えば便利だけど、それでは「食べる」ことがその瞬間で終わってしまう。自分たちで育てて収穫し、みんなで味わったら、自分たちの食べているものがどこから来たのか、どんなものが入っているのか、またその原料が自分たちの体と地球の健康にどんな影響を及ぼしているのかも知ることになるでしょ?

つやつやのナスもいろんな栽培方法を試しながらより美味しい状態で出荷できるように

——はい、そういう場があれば、「食」に対する意識も変わる気がします。

それと3つ目は、いろんな生物が共存できる環境を取り戻すこと。この辺は、僕が子どもの頃はウナギやハヤがいて、蛍もいっぱい飛んでいたけど、今は、だいぶ減ってしまって。豊かな自然は子ども達の心を育みます。例えば、全国で行われている菜の花プロジェクトのように、荒廃農地に菜の花を植えれば、春は一面黄色くなって景観が良いし、開花後は田んぼの土に混ぜれば、花の成分で雑草が抑制され除草剤を撒かなくて済む。農業を通して、環境の再生にも取り組んでいきたいです。

——しっかりしたビジョンですね。でも農業は自然を相手にする分、思い通りにいかないこともあるのでは?

そりゃ、ありますよ! 先日も少し油断した隙にスイカが虫にやられてしまい、ハウス1つ分全滅しました(笑)
でもね、夢中になって畑を耕し、自然に触れていると不思議な気分になるんです。なんとも言えない静寂に包まれ、ふと目をやると向こうに天橋立が一面に広がって。「幸せな生活を送ってるなぁ。みんなありがとう」って家族や仲間、野菜たちにも感謝したくなるんです。

左奥に見えるのが天橋立。日々、この美しい光景を見ながらの農作業。

地域が一つになった、60年ぶりの神輿復活

——府中エリアは景色がいいので、余計にそんな気持ちが湧くのかもしれませんね。

えぇ、いいとこですよ。最近はね、この府中エリアの国分という地区で60年ぶりに祭の神輿が復活したんです。30代の若者が中心になってプロジェクトを立ち上げ、クラウドファンディングで全国から寄付を募って実現しました。

——60年ぶりに!? すごいですね。

もともと府中エリアには、元伊勢籠神社という由緒ある神社があって、毎年春に「葵祭」が行われます。この祭は2500年以上前から続く丹後地方最古の祭事で、地区ごとに神楽(ルビ:かぐら)とか、太刀振(ルビ:たちふ)りとか、奉納神事の担当が決まっているんです。我々国分地区はずっと大神輿を担いでいましたが、過疎化による担ぎ手の不足や維持費用の問題から、60年来その伝統が途絶えてしまって。
そんな中、2019年に元伊勢籠神社の鎮座1300年に向け「国分地区の大神輿を復活させてほしい」と依頼があり、若い世代が立ち上がったんです。担ぎ手となる40代までの青年は20人足らず。60年前に担ぎ手として経験のある世代もわずかになり「復活させるなら、今しかない」と思ったのでしょう。私にも「力を貸してほしい」と相談にきました。

——吉田さんは賛成? 反対? どっちだったんですか?

もちろん、協力すると言いましたよ。もともと祭が好きだし、実は、私も若い頃、同じように神輿を復活させようと立ち上がったことがあるんです。でも話がまとまらず、一時は「賛成派の人だけで神輿を担ごう」って話になって。ただ、そんなことをすれば村は分断します。一部が盛り上がって、他がしらけているようなことでは意味がない。祭は、家内安全、豊作を祈願して村が一つになるためのものですからね。「それなら今回はやめよう」って話を取り下げた過去がありました。

——では今回、無事に神輿が復活した時は喜びもひとしおだったのでは?

私自身は、もう神輿を担ぐのに必死で、喜びに浸るどころじゃありませんよ(笑) けど、新聞やテレビが取材に来て、かなりの注目度だったみたいです。何より、国分の人たちが喜んでくれたんじゃないかな。私が子どもの頃は神輿がなく、他の地区の神楽や太刀振りをうらやましく眺めていたから。子どもたちも、自分のお父さんや近所の人たちが神輿を担いでいる姿を見て、国分の子ということを誇らしく思ったんじゃないかな。

2019年、復活した神輿を担ぐ国分地区の人たち。写真提供:宮津市

農業という仕事の今後の可能性

——若い人たちが立ち上がって地域の文化を復活させるなんて頼もしいですね。府中エリアは移住促進特別区域にも指定されていますし、今後、移住者を迎えて新たな動きが生まれるといいですね。

移住については、プロモーションと同時に、受け入れる側の意識を変えていくことも大事でしょうね。実際に京都府宮津市に移住者を迎えた時に「ここに空き家がありますよ」「なにか困りごとがあったら、こういうところに相談してくださいね」という体制を整えないと。行政が中心になって地域住民を巻き込み、アットホームな取り組みをしたいですね。

——移住者の中には新規就農を考える人もいると思いますが、就農した先輩として、吉田さんは今、農業という仕事の可能性についてどう考えていますか?

この5年間やってきて、僕が確信しているのは、農業は夢のある仕事だということです。「生計が立たない」と不安視する人もいるでしょうが、僕もね、それは農業経営塾で講師に聞いたことがあるんですよ。そしたら「吉田さん。それはやりかた次第です。農業で年収何千万稼ぐって珍しい話ではありませんよ。もっと『食』を作る仕事に誇りを持ってください」と言われました。たしかに、やり方を変えれば生計は立つし、この仕事は「食」でみんなの健康を支える、本当に素晴らしい仕事じゃないでしょうかね。
これからも僕は、農業で感動と幸福を創造していきたいし、90歳くらいまでは続けていきたい。できることなら、それまでに1人でも2人でも「俺もやるわ!」って人が出てきてくれたら嬉しいなぁ。

text : Ryoko Takeda
photo :白数勝也 岡本彩 大島賢汰 岡田圭介 田中愛乃 森 遥都 (今回掲載写真はカメラマン講座生撮影)

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